『勤務地シンガポール』

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個性とは何か?


     『「臨書」は、ややもすると没個性的と履き違えられがちであるが、
      人の顔が皆違うように古筆の書き手と同じものは何一つなく、造形
      上も精神的にも完全にシンクロすることは永遠にない。その違いを
      時をかけて見出し、否定してもしきれないものが己の個性の芽生え
      となる。即ち模倣と創造は表裏一体。臨書とは創作であり、模倣と
      は創造の「ふるさと」。今作品はそんな「ふるさと」を感じさせる作品、
      言いかえれば創作であり臨書作品でもある。』

                                柿沼康二


 書家の柿沼康二さんの言葉です。

 今日はある古典の臨書をして午後のひと時、猫が寝ている間、平和な時間を過ごしました(笑)。

 もう4年ほどこのひとつの古典を書き続けています。形はだいぶ似てきたように思いますが、その線質をを会得するには程遠く、ましてやその「気」に迫るには生涯を掛けて取り組まねばなりません。

 臨書とは、手本を脇に置いて、それを模倣することで、古典の臨書は書を学ぶ者にとっては避けて通れない道ですが、最近、「個性を引き出す」ということで、ある意味自由に、思ったように、ややもすると「どうでもよく」書く「書」が見受けられるようです。

 ある高校の書道の授業で、先生が、「今日は大いに個性を生かして、自分の思うように書きなさい。」と生徒に向かって言ったら、ある生徒は、わざとひっくり返るような字を紙一杯に書いてクラスメイト同士で大笑いしていたそうです。一方ある生徒は、何を書いて良いか分からず困っていたとの事です。

 同じく書家の森大衛さんはある雑誌のインタビューで「個性」について次のように答えています。

 「その人の個性だから好きに書けばよい、と、"心"や"感情"に酔い過ぎるのは危険なんです。"感情"と"感性"は似ているようで異なるものです。難しいのは当たり前。スポーツも音楽も「自分がよいと思うならそれで良い」と思った時点で、向上心がストップしてしまうんです。」 

 真似をしても真似をしても書き手が異なれば、その古典やお手本と「造形上も精神的にも完全にシンクロすることは永遠にない」、です。どうしてもどうやってもシンクロできないもの、「否定してもしきれないもの」が「己の個性」ということになるのでしょう。

 個性的、独創的な書は、独りよがりで我侭な書とは違います。多分、仕事もそのようなものかも知れません。

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